意味:
真実・型にはまった/ケーキ・固める/御託・流行語・専門用語・ナナメった物言い
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2006年07月のアーカイブ
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一人と十二人
最近、「大学時代で一番面白かったのは一人で考えたりスライド作っているときだった」なんてもったいない事を言う奴が居た。
一応そいつのチームメイトだったこともあるから多少の申し訳なさも感じつつ、
でもリーダーがそんな事を言ったら全部台無しだろ、となんとも言えない気持ちになっていた。
それは本人の自己否定どころか、過去関わった先輩後輩チームメイト全部否定する言葉なんじゃねーの?とも思った。
(この話が、「どれがトップか」と「どれかひとつ」をごっちゃにしているところにスタートした感はあるけれど、まあそれはそれとして)
その記事から、本当に一人で考えるアイデアのところが一番面白いのか?という事が、頭に引っかかっていた。
こちらが本題。
それで昨晩、12人がいきなり集まって、突発的に映画を撮ろうとして、スパっと撮り切ってしまったのを見て、やっぱりその言い方は違うんだろう、と思った。
自分がそのメンバの中ではだいぶクリエイティビティに欠けるし、一歩踏み出すべきところで腰が引けるから、「どうせ他人に乗っかってるだけだろお前」、といわれる状況はともかく、
あの場に、一人だけで考えてた奴なんて居なかった、とは確実に言える。
短期の突発的なプロジェクトと、長期のプロジェクトが違うってのはまあ、ある。
あんな一体感を半年続けろ、と言われたらそりゃ厳しすぎる。
それでも、モノを作るってことの中で、「考えて考え抜いてひらめくまでの間」だけが最高潮ではない、と前から思っていたことに少し形が見えた。
キレのあるブレストができたり、アイツスゲーと思ったり、俺ダメだーと思ったり、逆に俺こういうことかなり行けるんじゃねと思ったり、その場の閃きですごい映像になったり、みんなでライトやカメラをかかえて役者を追ったり、迫真の演技に笑いをこらえたり、そういう場では、「自分ひとり」っていう状況では絶対起こりえないことが起きているし、まさにその場でしかモノは作られない。
読んでいる人には申し訳ないけど上手くは言えてない。わかったような言葉で言えば創発とかその辺?まあ言葉はどうでもいい。”つくりあげる”って事が大事で、それはチームの力で行われるってこと。
モノの作り方が変わって来ている、というのは研究室の仲間と何度も喋った話。MITから本だって出てる。就職活動のときに感じたけれど、たぶん現場で(制作という意味だけではなく広い意味で)何かを作っている人は同じ事をうすうす気づいてるんじゃないだろうか。
それで、作り方が変わる所で一つ感じているのは、今の産業の様なアイデア出す人・作る人・使う人みたいな切り分けではそろそろやっていけないって事。
アイデアをひらめくことは、確かに大きい。それが出来る奴がこれからもモノづくりの主役だと思うし、何かを作ろうとする奴は大抵そこを狙っている。
けれどもその為の準備(例えばフィールドワークとか調査とか基礎となる技術とか)や、その実現(実装やプロトタイピングやデモや、それらによって仲間を増やす、そこから先の社会を変えるってこと)も含めた全てがないと、これからの(いままでも、でもある)モノづくりはやっていけないと思う。たとえこれからパーソナルファブリケーションになるとしても、それはマスプロダクトではなくなっていくと言うことであって、決して一人だけの力で出来ることではない。
逆に言えば、だからこそ一人で黙々とやりたい、と思ってしまうことが、凄くこれからの可能性を狭める事になるんじゃないか、と心配になったのだ、ああ自分の感覚が理解できた。自分にしかできないことをするっていうのは、当然として、それとこれとは違う。
同時に、そう言うこれからの作り方は、プロジェクト中止を目の前に「必ず」救世主が現われる、という某Xやハリウッドの様なパターンとしては誰も描いてない。だから「それいいー。おっしゃーやろうやろう」というその感覚をいろんな人に伝えていくことは(そしてその感覚は決して子供の遊びではないんですよ、と伝える事は)、大きな課題になると思うし、やりたいことをするためには”仕込み”を予め必要とすると思う。
RE DESIGN 日常の21世紀
仕事の合間に読んだ本。
マッチやスタンプやトイレットペーパとテーマを決めて、著名なデザイナがリ・デザインする、といった趣向。
基本的には面白い。