意味:
真実・型にはまった/ケーキ・固める/御託・流行語・専門用語・ナナメった物言い
カテゴリー:情報通信文化論
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雑感
現在使用中のb(Mebius二台目)がおかしくなったので、デスクトップも使って本格的にバックアップ→移行作業中。起動にクセのあるaを使ってます。こういうときはWEBにテキストを残すのが便利。
というわけでいろいろ今日考えた事など。
糸井重里。万歳マザー3。まあそれはさておき。
・裏テーマ、裏ニーズ、とにかく裏。別の言葉で言えば底。
糸井重里の「やさしいタオル」の本当に宣伝したい事は、「そのタオルがあるとカッコいいですよ」って事なのだが、それをそのまま言ったって、もちろん伝わらない。むしろ余計理解されない事もある。
だから他の言葉とか、いろんなシチュエーションとかそういうものをつかって宣伝する。
これは言葉として「イミ」を伝えるのではなく、文字や韻などを選んで、最後に「イメージ」を伝える詩と似ている。
そのイメージが真のテーマ。でも研究会のプレゼンテーションではそれを出すのもアリか。裏のテーマというとちょっと違う気がしてきた。
裏のテーマ。表向きには言えないんだけど、ウラではこんな事ができちゃうぜ。進行するぜ。みたいなものか。そういうのがあると隠れたモチベーションになるかな。
・「詩」と「Art」
「イミ」を伝えるものではなくて「イメージ」を伝えるもの。
その突き詰めた最終形が、糸井重里にとっては言葉も大事だから、詩とアートになる。
個人的には表現は全部そうだと思うのだけど。小説とかも。
・質問をすること
森博嗣が言ってることを鵜呑みにしてるので責任はどちらにあるでしょう。
質問をすると、その質問の回答に関係なく、質問者の力量が出る。
(できれば質問も回答も短くて簡潔だと良いとも。たしかに見てるとそう思う。本の紹介してた人とか……。チャンスを生かそうという行動力は評価できますが)
良い質問を考えることはなかなか難しいがその姿勢もわりと重要なので試しま。
・コドモを生むのが良いモノ
順番は前後するけれど。
車、というのは非常に多くのコドモを生んだ。例えばそれはガソリンスタンドや、サービスエリアや、そこで売ってる五平餅。それらは全部孫かひ孫かわからないけど、とにかく車ができたからできた、車の子供だ。
多くの子供を作るもの(作りそうなもの)が、いいもの。
これって、奥出研の言葉に直せば、(ユーザー)エクスペリエンス。
優れたモノというのは品質がどうこう、例えば「計算がはやい」ではなくて、体験を生むものだ。ということ。糸井さんのタオルの例で言えば、高いお金をだして、特別に選んだぜいたくなタオルを使う事で、何気なく行っている「頭を拭く」という動作が、カッコいい経験に変わるってこと。(だから、タオルの品質は、目的ではなくて手段。二の次だから三)
だから、やることは、普段何気なく行っている「落書き(スル)」「絵を描く」(「漢字を書く」)「(手書きで)表現する」「メモる(出てないけど)」「発信する(何を?)」「主張する(グラフィティとかでしてることね)」「描かれたものを集める(描いてもらうはコレの特別な一つか?)」「思い出す(自分史とかってこういうこと?)」(さー、フォーカスが定まってないぞ)ってことを、「どうしたいか」
これがニーズか。(正直テーマと混同してた。テーマとは、何をするか、何を作るのかの「何」の部分)
dcgより引用。
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デザインとは、何も表面的な目に見える形だけを作りだすものではない。デザインとは人間がどのようなニーズを抱え、それをどうやって解決するかアイディアを生み出し、さらにそのアイディアをメディアを使ってどう形にすれば人間がニーズを達成できるかを調査し、分析し、設計、実際に作るというプロセスを踏んで、形を生み出す行為である
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奥出研としてはニーズを得るところからはじまる。
(面白いものを考えたからこういうニーズがあるだろうっていうのはアリなのか?)
勝手に参考にしてる:オクノ総研の2003年3月1日。
ちょっと強引な解釈をすると、テクノロジー、新しいモノ、しか解決してくれないニーズがあって、それのために作るという事。わかり易いニーズとは限らない。気がついてすらいないことは多々ある。し、今の消費者動向と合うかもわからない。ただ統計数値ではなく、フィールドに出て体験・経験をすることには、ソレを見つけるという意味がある。
*現代はモノに対して欠乏していないので、自分のなかで必要だと思うものを的確に掴み、それを作って仮説として社会に出せばよい。それが当たればいいし、あたらなければまた作って出せばいい。(dcg2003)
アイデア
ニーズを解決するためのアイデア。デザインのジャンプが要るところか?
プロトによってブラッシュアップする。
コンセプト
*コンセプトとは、アイデアを生み出している(だろうと想像される)論理的な枠組み。
ウォークマンの例を考えるとわかりやすい。ウォークマンのアイデアとは『持ち歩きながら音楽を聞く』という欲望とアクションである。コンセプトは、『ヘッドフォンで聞く、カセットを使ってサイズを小さくする』などである。(dcg2003)
とにかくモノのデザインを行うこと。小さくてもバカバカしくてもいいし、ころころ変わることもあるし、変わることだって重要。プロトタイプを作って使えばわかるし、きちんと人間が考えれば最後には化ける。
さて、虚の部分ばかりですね。もっと具体的に考えろって話。
でも眠いので寝る。明日は9時起きの予定。
いつのまにか自分の事に結び付けてしまう癖は良いのか悪いのか。
自分は一般的な人間だと信じる人の
[今回のお題] メディアの使い分け
まず、今一番気になるメディアは手紙。
なぜなら年賀状がまだ送れていないから。
次はパソコン。なんだかんだでいろいろ使う。
最後に携帯電話。 これがないと時刻表検索ができない。
こんなものか。
ウチにはテレビもないしラジオもないし、新聞も取っていないし、固定電話もない。FAXは実家にさえない。
実は全部パソコンで代用できるけど。まあやらない。
回覧板とかも無い。こればっかりは代用できないんじゃぁないかな。
さて、そう改めてみると、相手に情報を送る媒体を最低限所持している。と言い換えることができる。
って、当たり前か、人に伝えるから媒体なんだものな。
使用頻度で言うと
PC 1日30時間(起動時間合計)
ケータイ 1日に3度(時間差めざまし時計として)
ケータイメール 1週間に数度
手紙 年に2回(できたらいいな)
となる。パソコンは2台あるから24時間を越える。
一台はサーバー兼ゲーム機(ゲームをしていないときはサーバー)。緊急時の高速仕様。10秒で起動して100Mbpsで通信してくれる。急いでWEBを見たいときに便利。
もう一台は持ち運び兼課題用ノート。家にいるときはほとんど電源は付けっぱなし。
ただしこの冬、72時間ぐらいつけていたら見たこと無いエラーを出して落ちた。
基本用途は
WEB(だらだら人の日記を見ていることが多い。もしくは課題・ゲームの情報収集)
メール(研究会のML、ほとんどはパブリック。 メールマガジンは2つ。JMMとほぼ日。)
MSNメッセンジャー(常時起動、名前の更新頻度高。登録は88人)
秀丸(課題をこなしたり、ネタを書き留めたり)
MP3。(ipodより容量少ないけど携帯も出来るよ!)
携帯電話はめざまし時計か、時々メール。出先での連絡等。
一番重要なのは乗り換え案内だったりする。
皆は信じてくれないけれど、僕は一般的で平凡な人間だと自負している。
むしろ平凡なことに憤りを感じるくらい。
だから、私がメールを送ろうとするときは皆も送ろうとしていて送れない事が多いのだ。
えーと、年明けとか、W杯とか、阪神優勝とか。
つまりあんまり使いません。本当はケータイの使い方が良くわからない。まずメールアドレスが変えられない。
手紙。配達もしたことがあるけれど、出すのも嫌いではない。貰うのは好きだ。
しかしなかなか億劫だ。返信してない方。ごめんなさい。
さて総括。
1・至極一般
Eメールはパブリック 携帯はプライベート
2・ログが残る
記録を後になってから見返すのが好きなのと、記憶力に自信が無いので、ログが残る方式を採択した可能性は高い。
TVやラジオは残らないから。か。
3・人とのつながりは薄め
シャイなんです。
関係は悲しいかな薄れていくものなので、自分で繋ぐ努力をしたほうが良いと思います。
世界をもうひとつ。
情報通信文化論 【課題06】位置情報サービスをどう使うか?
私は、位置情報によって、擬似的にもう一つの空間を作ることができるのではないかと考えた。
それは、バーチャルリアリティの様な世界ではない。
たとえば今、小田急グーパスの様に、改札を通ったらその駅にまつわる情報を提供するシステムがある。
GPSの位置情報を用い、地球上のすべての場所で同じ事が出来る様にすれば、それはデジタルなネットワーク上にもう一つ別の地理が存在することになる。
もちろん、一つだけではなく多数作ることも可能である。
一つは広告としての擬似世界
一つは道案内としての擬似世界
さらにはちょっとしたヒマつぶし、お笑い・音楽・絵画etc.…のための擬似世界
もちろんデジタルなので、実際に目では見えない。それを見るために携帯電話を使うというのはどうだろうか。
チャンネルを合わせるたびに、別の世界が見えるケータイ。
携帯電話は常に電波を出して、基地局に位置を伝えている。
よって、アンテナ・基地局が、自らのカバーする範囲の情報をキャッシュとして所持し、聞かれたとき、つまりユーザーが仮想世界を見たときに、GPSの情報によってさらに絞り込んだ広告・標識などを返す様にすれば、通信のトラフィックとしても軽く済ませることができ、現実的な利用が可能となるのではないだろうか。(DNSのシステムに似た構造となる。)
使い道として、1つは今でも使われているような道案内がある。
それだけでなく、カンバンや標識がすべて(は、少し言いすぎか)デジタルになれば、景観を損なうこともない。
また、昔駅にあったような、「●●へ、先に行きます。」みたいな掲示板を作ることもできる。
実際に行かなければ得られない、というのは時代に逆行しているようにも見えるが、その様なシステムには風情があり、面白いことが多数できるはずである。
携帯電話の進む道
カメラ付き携帯について。
佐藤雅彦教授が、丁度4年前、活動の一部である毎月新聞の第一回「単機能万歳」というテーマで、この様なことを言っている。(ただし、初回のため出来は不満だった模様。あとがきより)
<引用開始>
実は僕も機能好きなら負けてはいない。僕の家を見渡すと、”多機能”と呼ばれる余分な機能がゴロゴロしている。
台所にはカセットデッキ付き電子レンジ――料理の手順をテープで教えてくれる(もちろん音楽も聴ける)。しかし、今や、あたためと解凍にしか使っていない。今に行けば、腹筋台付きぶら下がり健康機。ぶら下がり健康機だけだと使わなくなる恐れがあったので、腹筋も出来るタイプを購入。しかし、今やこれも洋服かけと化している。しかも腹筋台の分洋服かけとしても使いにくい。
もちろん便利な多機能も少なくない。Fax付き留守番電話やテレビデオ、時間差めざましなどは、僕も重宝している。
<引用終わり>
これはマーケティング等で言われるドメインの問題である。ドメイン=対象領域が的確に設定されたものが優れており、使いやすく、いつまでも残っている。
この後の文章でも、単機能・ひとつの目的に沿った物が使いやすい、と書いてある。
(今後はメーカーに焦点を当てますが、文中では消費者側も無用な機能に対して考えるべきだ、と述べてあります)
携帯電話にカメラが付属しているということは、この原則に合っているだろうか。
電話として捉えるとカメラは意味を成さないが、コミュニケーションのツールとしてみた場合はカメラに価値が出てくる。
第一世代は、とにかく外で話すためだけに存在した。第二世代では、コミュニケーションのツールとして爆発的に発展した。
さらに言ってしまうと、現在の携帯電話は「ケータイ」と略されるだけあって、「携帯する」というドメインになった。
時計、カメラ、メーラー、メモ、カレンダー、スケジューラ、ゲーム、もうしばらくすると非接触ICカードで小銭入れにもなる(Suicaをテープで貼り付ければ良いのでは?)
現在・財布の中身はほとんど情報であり、金銭・各種クレジットカード・ポイントカード・身分証明証、すべてデータにして格納することは不可能ではない。
持ち運べる「情報」を扱うものがすべて統一される日も近いのだろう。どんどん多機能な単目的製品になる。
カメラ付き携帯は、その第一歩である。
余談であるが、現在のところの「携帯」の次ドメインは何になるだろうか。
メーカー側としては、次世代には家電の操作、留守時の来客の対応、テレビ電話、などなど「家」の機能を持たせたい様ではあるが、メンタルモデル(ユーザーが心理的に持っている動作のモデル)にあまり外れすぎるとドメインとして効果を成さず、無用の機能ということに成りかねない。
佐藤雅彦教授の言葉を借りると、
「なんでも使える」は「なんにも使えない」に通ずるのだ。そんな簡単な基本をどうも私たちは忘れがちである。
インターネットの今後の予想。(多分に妄想が入っています)
情報通信文化論の課題です。
私の思考は例示による解釈である。
よって、今回も例に当てはめて考えてみる。
インターネットは、大航海時代の新大陸発見になぞらえるとしっくり来る。
社会のはずれ者、荒くれ者が航路を開拓し、新しいインターネットという世界を発見する。
(幸運なことに、先住民は居なかった)
さらに、土地を開拓して町を作り、貿易が行われる。
そしていずれ、新世界からもたらされたものが、もとの世界の生活に影響を与え、変化させる。
物質で言えばトマトやコーヒー、タバコ等等。それ以外にも文化がかなりの速度で融合していった。
インターネットでいえば、コミュニティの設立(ニフティサーブ・2ch・そしてその他小規模コミュニティ)、ネットビジネス(アマゾンなど)の発展
その次に来るのは、日常生活にネットワークを持ち込むユビキタス社会だろう。その間にも、ネットワークの文化と実社会の文化は融合し続けている。
では大航海時代のその後、何が変化したか。
大国による小国への支配が行われていた。(いつの時代もそうではあるけれど。)
・新世界の富を使った富国。
・アメリカの独立。
・最終的に新世界が世界の頂点に立った(某国)
インターネットでは言えそうな事は
・デジタルディバイドによる格差の増大
・ネットワークの独立?
・ネットワーカによる技術的な支配?
と、言うことは、
いずれ旧世界との反発が起こり、新世界として独立を起こすのだろうか。
茶法に反発して茶を捨てた様に(その結果紅茶代わりに飲めるアメリカン・コーヒーなんてものが生まれた)
物理的デバイスの本やCDを捨て、情報だけで生きるのか。その場合、場所という地理的要因も捨てるだろうから、家から動かなくても良くなる。
あれ?それはひきこもりではないのか?
村上龍氏は著作「希望の国エクソダス」で中学生のネットワークを使った独立を書いた。
取材ノートでは、中学生だけでの独立は非現実的要素が多々あるとの予想は書かれていたが、いずれ大人も小説に出てくるような指導者も出てくるかもしれない。
もしかしたら、本当に独立して世界を握ってしまうのではないだろうか?
そんなわけで、インターネットは新しい世界、新しい大地である。
いずれ、新しい体制が生まれる余地があるので、乗るか、そるかを決めておかなくてはならないのかもしれない。
授業は、(遅刻をカウントしなければ)出ています。ご容赦下さいませ。
携帯電話とは何か
携帯電話は、パーソナルな通信メディアである。
今まで個人→家庭というサイズの結びつきであった電話の形を、個人⇔個人という結びつきに変えたのが携帯電話である。
また、電話を取る前に相手が分かるということも画期的であり、今まで掛ける側にだけあった選択権が、受ける側にも出来た。
さて、その個人と個人の結びつき、通話の取捨選択によって何が変わったか。
それに合わせて、人間の単位も一人になったのではないだろうか。
固定電話の場合、相手の家の誰が電話を取るか分からなかった。電話を掛け合うような間柄、例えば友人は、「家族ぐるみで知っている友人」という形であった。
しかし、携帯電話の普及により、個人と個人が繋がるようになると、家庭単位の認知(監視ではないと思う)は減ってしまった。良くも悪くも人間の単位がくっきりと一人になったという事である。
「自分の選んだ、自分の友達と付き合う」そういう形になって来たのだろう。
ただし、判断力が付いていない状態、小さい子供までこの様な形態を取って良い物だろうか。
私にはそこが疑問である。
自分で選ぶ、という事の責任が存在していることを忘れてはならない。
古来、臣下の諫言を聞かなくなった主君は滅ぶ運命にある。
人間一人の能力には限界があり、それ故に個々の経験や個性を組み合わせて間違いを減らそうとしたのが近代の議会のはしりである。
個人と個人のみの繋がりは、狭い世界に閉じこもりかねない危険性を秘めている。
他者との関係を選べることには、堕落を選択していく可能性が潜んでいる。
というわけで、携帯電話は使用上のご注意をよく読んで、用法、用量を守ってご使用ください。
長電話は財布の健康を損なう恐れがあります。
音声メディアとしての電話
辞書を読んでみると、電話とは「音波が別の形になりもう一度音として再生され、それで会話(2人の場合は対話)が出来るもの」である。
衛星電話も、携帯電話も、IP電話も、ボイスチャットすら電話と言える。
よって、電話は音声メディアである。
では、電話は音声メディアとしてはどうなのか。
音声メディアのなかでは特殊で、前提条件が多い様に思える。
同じ線で繋がってなければいけないし、一対一でしか使えない。
キャッチホンは料金の二重取りであるし、留守番電話だって理不尽なものだと思う。
しかしそれでも、電話は無くならないと、私は考える。
「距離と関係無しに会話が出来る」
という核を持っているからだ。
そのニーズというは人間が居る限り尽きる事は無いだろう。
どんな技術が出ても、通信速度や多人数制や音声以外のものが通信出来たとしても、
電話:音波が別の形になりもう一度音として再生され、それで会話が出来るもの
ということは変わらないであろう。
音声メディアの形がどうなっていくのかはわからないが、電話という形では(文明が滅ばない限り)延々と続いていくのではないだろうか。
音声メディアとしての電話は姿を変えたとしても続いていくのではないかと、私は考える。